黄砂の籠城 上・下

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★あらすじ

1900年、明治三十三年。北京。この小説は史実に基づく。この物語の登場人物は実在する。
日清戦争後、清朝の弱体化を見て取った列強各国はこぞって侵出してくる。結果、北京の一角、東交民巷に北京在外公館区域が出来上がっていた。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、オランダ、イタリア、ベルギー、オーストリア=ハンガリー、そして日本が公使館を設けていた。その区域には、清朝皇族である粛親王家の屋敷(粛親王府)や香港上海銀行、そして各公使館出入りの商人たちも軒を並べていた。

その頃、中国の各地で義和団と呼ばれる、蜂起した農民たちによる外国人に対する襲撃事件が起きていて、その活動は日に日に大きくなっていった。彼らは赤や黄色の布をまとっているのが特徴で、武器といっても銃器類は持っていない。宗教がかった武術集団が元になって結成された彼らは、自分たちに孫悟空などが憑依し、不死身になっていると信じているらしい。そのため、刀のみで突進してくる。襲撃された教会などは銃で応戦するが、義和団メンバーは数で圧倒する。打たれて倒れた仲間を乗り越え、次から次へと襲いかかるのだ。そして、文字通り、外国人たちを八つ裂きにしていった。
そんな義和団が北京にも現れ始めた。清朝政府は、表向きは“暴徒の取り締まり”を各国公使たちに約束するものの、実際には義和団の横暴を見て見ぬ振りしている。各国とも公使館の防御を強固にしたいと思っていたが、あからさまに清朝の首都に軍隊を入れることはできない。そのため、数十人程度の兵士たちを常駐させていたのみだった。日本軍の櫻井伍長もそんな一人だった。軍隊生活に馴染めなかった彼だが、語学に堪能で何カ国語も会話が可能だったので、軍としては厄介払いの意味もあって日本公使館に送られてきたのだ。
そんな中、日本公使館に駐在武官として柴五郎陸軍砲兵中佐が赴任してきた。櫻井伍長はその語学力ゆえ、芝中佐から随行を命じられるようになる。だが、清朝の役人たちに対しても、各国の公使や同じ駐在武官たちに対しても、芝中佐は兎に角、腰が低くて低姿勢だった。櫻井伍長はそんな姿に歯がゆさを感じ、また、不安も感じるようになった。

ついに、日本人にも義和団の犠牲となる事件が起きる。ミサの最中の教会が襲撃に遭い、関本一等書記官の妻が惨殺され、次女が何とか逃げ出してきた。義和団の勢いはさらに増していく。各地で鉄道が破壊され、簡単には援軍を呼び寄せることもできなくなる。そしてついに、東交民巷は義和団に包囲されてしまい、陸の孤島となってしまったのだ。そして、籠城戦へと追い込まれていった。
各国の思惑が交錯する中、低姿勢は崩さないものの、的確な籠城作戦を公使たち・武官たちに示したのは芝中佐その人だった。彼は詳細な北京市内の地図を作成していて、東交民巷にある各国公使館の防御力も的確に評価していた。例によってその場に同席をしていた櫻井伍長は、芝中佐を誤解していたことを知る。そして、芝中佐の元、東交民巷防衛に奔走していった。

★基本データ&目次

作者松岡圭祐
発行元講談社(講談社文庫)
発行年2017

★ 感想

黄砂の進撃 – Bunjin’s Books Reviews」とペアになっている作品。発表されたのはこちらが先。同じ籠城戦を、あちらが義和団側から見た形で、この作品は日本側から見ている。両方を読むことによって、より深く作品の世界に入り込める仕掛けだ。

ある意味、その場に居合わせただけの、バラバラな国々の人々・兵士たちをまとめ上げ、籠城戦を戦い抜いたことで芝中佐は世界の賞賛を浴びている。また、合わせて「日本人の美徳」も褒めそやされていた。それは史実のようだ。本書はそんな芝中佐を、沈着冷静にして頭脳明晰、それでいて謙虚なヒーローとして描いている。合わせて、伍長の櫻井も有能にして勤勉、労を厭わず人のために頑張る“良き日本人”だ。
単純に読むと、「日本人は偉い」、「日本人は他の連中と違う」という、ステレオタイプの“日本人礼賛”のように見える。もちろん、エンターテインメント作品として、主人公はよく描かれるものだし、主人公に活躍してもらわないと話にならない。でも、この作品だけで存在しているならば、“右寄り”の保守層を喜ばせるだけのものになるのだろうけど、アンチテーゼとしての「黄砂の進撃」では義和団側から見た“正義”も示しているのだ。そして、本書の終わりでは櫻井伍長に、義和団は狂気の集団ではなく、ちゃんと組織化された集団であって、宣教師たちの迫害がその発端だと分かった、と語らせている。その辺りに、著者が言わんとしたことがあるような気がする。

もしくは、「かつての日本人は世界から認められるほどの高潔さを持った存在だった。嘘をつかず、人のために尽くす、誇りを持った人々だった。だが、今は・・・」と言いたいのかも知れない。大企業の偽装隠蔽が次々と出てきたと思ったら、政府役人まで公文書の改竄をしていた。官民ともに“かつての日本人”ではなくなってしまったようだ。そんな今の状況を嘆き、歴史を見返せ、というメッセージなのかも知れない。

はたまた、義和団が各地で勢いを増す中、「日中友誼(友好)」のお守りを売っていた中国の農民のエピソードからは、「相手をよく知れ。ぶつかり合うだけではなく、話ができる相手がいるはずだ」ということも読み取れそうだ。戦争はやはりいけない。対話することを考えろ、と言うことか。

この作品を先に読んでいたら、ヒーローものの歴史小説という括りで、娯楽作品として単純に楽しめたのかも知れない。が、「黄砂の進撃」を先に読んでいたため、なかなか難しくなってしまったようだ。どう解釈するのが正解なのだろうか。

まあ、そんなことは置いておいて、一冊の読み物としても非常に良くできていた。登場人物のキャラクター設定ははっきりしていて感情移入しやすいし、サブプロットとしてなかなか正体が掴めないスパイの存在があったりして、先を早く読みたい、と言う気にさせてくれた。実際、上下巻を一気読みしてしまった感がある。止められない・止まらないだ。
まずは純粋に作品を楽しんで、その後にああでもない、こうでもないと考えてみる。そんな二重の楽しみ方のできる作品となっている。

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