問いの立て方

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★あらすじ

本書はノウハウめいた方法論や読後直ちに使える答えのようなものを書こうとした本ではない。

「いい問いの立て方」を考える時、三つの点が思いつく。

  • 「いい」と言う言葉の意味は?「良い」のか「善い」のか。
  • 「問い」とは何か。調べて答えが分かるものもあれば、答えなどない問いもある。
  • いい問いの立て方という方法論があるのか?

本書では「いい」を「良い」、「問い」を「課題」として考えていく。

「いい問い」とは本質的な問い。そして本質的とは、「なぜその問いがあるのか」どいった根源的な存在についてまで考えられているか、あるいはその根拠を踏まえて考えられているかどうかのことと言える。
「いい」とは自己の考えであり、それは「観念」から生じている。その「観念」は「歴史」に依存している。そして自分自身がなぜ、この時代のこの場所に存在しているのかを考えると、実はどの時代の誰かであっても不思議はないと思えてくる。今、自分がここにあってものを考えていると言う「歴史」はそこに「存在」しているからこそと言える。

本書では、根本原理を踏まえたことを「本質的」とし、「いい問い(考え)」とは本質的な問い、とした。そして、その本質的の果てまで考えた結果に行き着いたのが、「存在」という事実だった、ということ。さらりと言うなら、なぜ「在る」かわからないけど、「在る」から「在る」のだ。

何かと何かが接触し摩擦を生じさせるという現象を比喩的に「矛盾」や「葛藤」と捉え、「問いは矛盾や葛藤により磨かれる」とするのは妥当であろう。

★基本データ&目次

作者宮野公樹
発行元筑摩書房(ちくま新書)
発行年2021
ISBN9784480073709
  • はじめに
  • 第1章 「いい問い」とは何か
  • 第1章 補足
  • 第2章 「いい問い」にする方法
  • 第3章 「いい問い」の見つけ方
  • おわりに

★ 感想

学生の頃に読んだハイデガーの「存在と時間」では、「存在とは何か」という問題が語られている。そしてこれは私の座右の銘としているのだが、ハイデガーはその中で「答えは問いの中にある」と語っている。存在(ドイツ語でsein)を定義するためには「・・・である(sein・・・)と同じ語を使わねばならないことから、では「存在とは何か」という問い自体を見直していくのだ。

そんな記憶があったためか、本書のタイトルを見てすぐさま購入してみた。私自身が上記のような考えを持っていたので、「問いを立てるということは、物事の本質を考えることだ」というのが著者の基本的な考え方には共感できた。
ただ、話の進め方はなんと言うかパッションが迸るような感じで、少々面食らってしまった。とは言え、HowTo本でよくある「俺は偉いんだ。俺の話を聞け!」的なものではなく、言いたいことが溢れ出てきて、筆が追いつかなくなっている感じ。そのため、話の展開はちょっと分かりにくい。というか着いていくのに大変。まあ、勢いに押されてドンドン読み進めてしまったからかもしれないけど。

問いを立てていくことを考えていくと、自らの有り様・存在を考えざるを得なくなる。それは、いわゆる「なぜなぜ五回」とは違う。なぜなぜ分析は、結局のところ犯人捜しに近いもので、問い自体が“解決すべき課題”であると決めてかかっている。著者のアプローチは、問いに答えがあることを前提としていないのだから。
「禅問答」がこれに近いのかどうか分からないが、神や仏の存在に頼らない時点でさらに大変だろうことが想像できる。私はそれが実存主義的な考え方なのだろうと捉えたのだが、果たして合っているだろうか。世界も歴史も自分自身も、そこに存在するから在るのだという立場から考えていく訳だが、なかなかシンドイ。

結局、問いの立て方がなんなのか、どうすればいいのかは分からないままなのだが、結論としては「自分で考えろ」と言うことなのだろう。いやぁ、なんともハードボイルドな一冊だった。

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