★あらすじ
中国古代社会は黄河流域を中心に発達した。邑(ゆう)と呼ばれる集落と田畑が人びとの小宇宙であり、「内なる世界」だった。そして「内なる世界」の外側には、昼なお暗い森林や藪、沼沢、原野、そしてかなたに山岳が聳える「外なる世界」が広がっていた。「外なる世界」は野獣・猛禽・蝮蛇(まむし)が横行する危険に満ちた「負の空間」だったのだ。
山海経(せんがいきょう)は、来歴不明な古書である。おそらく、秦漢時代以前に生まれたと思われるが、その奇想天外な内容のためにあまり取り上げられることもなかった。
そんな山海経は、まさに「外なる世界」を描いている。この書物は、(当時の)中国国内の山岳丘陵・叢林や川沢が対象の「山経」と、海外を描く「海経」からなる。さらに「山経」は南山経・西山経・北山経・東山経・中山経の五篇からなる。また「海経」は海外・海内・大荒の各東西南北の四経と海内経一篇の計十三篇からなっている。「山経」「海経」は体裁・記述形式も違い、成立事情や時期が異なっていると考えられる。
山経には人に害なす悪鬼が多数、記述されている。その記述はシンプルだが、怪しげな存在ばかりだ。例えば、
- 柴桑の山…白蛇・飛蛇多し。
- …獣あり。その状は狼のごとく、赤き首、鼠の目、その音は豚のごとし。名づけて猲狙(かつしょ)という。これ人を食う。
- 青丘の山…獣あり。その状は狐のごとくにして九尾、その音は嬰児のごとし。能く人を食う。
人びとは、疫病、洪水、日照り、そして火災や戦禍、蝗害、さらには支配者から命じられる労役も、これら「外なる世界」の魑魅魍魎の祟りによると信じていた。
山海経は、そんな悪鬼たちのカタログ・博物誌だったのだ。「外なる世界」でばったり出会ってしまった時、相手がどんな災厄をなす悪鬼なのかを知っておくことで、災いを避けることを意図したのだ。
★基本データ&目次
作者 | 伊藤 清司 |
発行元 | 東方書店 |
発行年 | 2013 |
シリーズ | 東方選書44 増補改訂版 |
ISBN | 9784497213075 |
編集 | 慶應義塾大学古代中国研究会 |
- 増補改訂版の刊行にあたって
- Ⅰ 文明社会の内と外
- Ⅱ 祟りの悪鬼
- 一 人を食う妖怪たち
- 二 疫病神たち
- 三 災禍をまねく怪神たち 洪水・ひでり
- 四 災禍をまねく怪神たち 火災・戦禍・蝗害・労役
- 五 悪鬼博物誌 災いをさける方法
- Ⅲ 恵みの鬼神
- 一 山川の恵み
- 二 内科・外科の薬物
- 三 懐妊・避妊の薬物
- 四 家畜用の薬物
- 五 善獣・瑞獣たち 悪鬼から善神へ
- Ⅳ 妖怪・鬼神たちの素顔
- 図版目次と出典
- 参考文献
- あとがき
- Ⅴ 補論
- 補論1 「山海経」と、その周縁に位置する出土簡帛
- 補論2 五蔵山経における舞 帝江と鳥の舞
★ 感想
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、タイトルの通りに、乱世にあって瑞獣である麒麟の出現を期待するというのがコンセプトだった。「麒麟なんていないよ」という意味なのか、「希望を捨てるな」というメッセージなのかは見る側に委ねられているのだろう。
そんな麒麟だけではなく、古代中国では様々な異形の獣や鳥・魚がいた(信じられていた)ようだ。そのうちの一つ(一匹?)が麒麟なのだが、筆者によると元は人々に害をなす悪しき神獣だったのが、次第に崇め祀られるうちに瑞獣として定着していったのだとか。荒ぶる神もお祀りすれば守り神になるということなのだろう。
山海経(筆者によると、読み方は「センガイキョウ」とのこと)の名前はおぼろげに知っていたけど、こんな内容だとは本書で初めてちゃんと知ることができた。単なる妖怪図鑑ではなく、当時の人々にとっては「家庭の医学」か「防災ハザードマップ」のような存在だったようだ。自分たちのテリトリーの「外の世界」は未知の危険に満ちていて、どこに(どの山、どの川に)どんな神獣・悪鬼がいるのかを知っておくことが日々の暮らしを安寧に送るために必須の知識だったのだろうと思う。現代人がそれらを科学に依拠しているのに対して、当時の人々は”経験”であったり、”伝承”であったりに依って知識の体系を組み上げていっただけの違いだ。本質的な想いは同じに思える。COVID-19に対しては、ワクチン接種が行き渡るまでは家に引きこもって「外の世界」に踏み込まないことしかない今の状況は特にそうだ。
だからといってアマビエに頼るのもいかがなものかと思うが、メンタル面を強く保つためには意外と参考になるのかもしれない。このパンデミックの真っ只中だからこそ、読んで見る価値のある一冊に思えた。
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