★あらすじ
インカの人々は文字を持たなかった。今日伝わる「インカ史」の多くは、植民地支配のために(彼らを理解するために)スペイン人が彼らの歴史を調べ、記述したものだ。スペイン人は、インカ族の末裔と称する人々などから“聞き取り調査”を行った。では、その末裔たちは何を元に自らの歴史を語ったのか。それは、「キープ」と呼ばれる、紐とそこに作られた結び目による“記述”だった。これに伝承が加わり、彼らは祖先の記憶を伝えていたのだ。
古代(スペイン人がやってくる前)、インカ族は、自分たちの王を神として崇め、その威光を持って次々と他の部族を支配下に置いていく。その際はもちろん強力な軍事力も用いられ、逆らうものは虐殺も厭わなかった。インカ族に従った者たちには、ケーロやアキリャと呼ばれる酒杯が与えられ、トウモロコシの醸造酒チチャが振る舞われた。インカ族はその酒杯をその地に置いていき、それをもって支配の印としたのだ。酒杯を受けた側はインカの王に対して服従し、数々の貢ぎ物や人的労働力を提供した。逆に、インカ王は彼らを保護する“義務”を負った。この非対象的な互酬関係がインカ帝国の基本構造だった。
インカ帝国の地方支配は間接統治の形を取り、地域の首長・祭司はそのままその地を治め続ける。土着の信仰も、インカの神の下に再配置される形を取った。このゆるい繋がり(支配体制)がやがてインカ帝国を崩壊させていく。それは、スペイン人の侵略以前から始まっていた。
スペイン人の侵略を受け、インカの人々は過酷な簒奪を受けることになる。だが、インカ族に支配されていた種族の中には、積極的にスペインの王への忠節を誓い、スペイン人に協力する人々もいた。インカ帝国としてまとまりを見せていたその繋がりは瓦解していく。
スペイン人はインカの地に豊富に眠る銀に目を付けた。インカの人々の強制労働によって銀が掘り出され、本国へと送られていく。莫大な富を生み出す銀やその他の産物を積んだ貿易船が大西洋を越えて行き来する。
だが、それも長くは続かなかった。太平洋航路が開拓されると、掘り出された銀は大西洋ではなく、太平洋を渡ってアジアへと流れていくようになった。スペイン帝国の意図に反した貿易の流れは、新たな富裕層を生み出す。その多くがユダヤ人や、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒(コンペルソ)、そしてインディオたちだった。ここからスペイン帝国は“新たな、内なる敵”に対して攻撃を始めたのだ。それは「異端審問」という形を取ったものだった。
★基本データ&目次
作者 | 網野徹哉 |
発行元 | 講談社(講談社学術文庫) |
発行年 | 2018 |
副題 | 興亡の世界史 |
ISBN | 9784065137314 |
原著 | インカとスペイン 帝国の交錯 (興亡の世界史), 講談社, 2008 |
- はじめに
- 第一章 インカ王国の生成
- 第二章 古代帝国の成熟と崩壊
- 第三章 中世スペインに共生する文化
- 第四章 排除の思想 異端審問と帝国
- 第五章 交錯する植民地社会
- 第六章 世界帝国に生きた人々
- 第七章 帝国の内なる敵 ユダヤ人とインディオ
- 第八章 女たちのアンデス史
- 第九章 インカへの欲望
- 第十章 インカとスペインの訣別
- あとがき
- 学術文庫版あとがき
- 参考文献
- 年表
- 主要人物略伝
★ 感想
インカ帝国の歴史というと、「南米西部一帯を支配した帝国だったが、スペインの侵略を受けて王様が処刑され、以後は植民地となった」という、通り一遍の知識しかなかった。単純に、スペインの侵略者 v.s. インカの人々という図式だ。だが、当然ながらそんなに単純な話ではなかった。
インカの人々の中にも支配者(民族)・被支配者(民族)がいて、後者はスペインからの侵略の際には“敵方(スペイン人)”に積極的に協力したとのこと。また、スペイン側もユダヤ人や、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒(コンペルソ)と、(元からの)キリスト教徒との間で不和があり、一枚岩ではなかった。さらには、キリスト教伝道の仕方も、武力・暴力を持って強制的に押しつける者もいれば、相手の文化を理解した上で“説得”するというソフトな路線の宣教師もいたようだ。
それにしてもポグロム(ユダヤ人迫害)は南米の地にまで広がって行われていたとは知りませんでした。そこまでの憎悪がどこから来るのか、未だに理解できずにいるし、本書を読んでも新たな疑問が増えるばかり。
ただ、この辺り、「インカの歴史」だけを描いた書籍では取り上げられなかったかも知れない話題なので、それが本書を特色あるものにしている。まさに二つの帝国の交錯した世界観を持たないと語れない話だ。
「興亡の世界史」のシリーズ名通り、インカの王国を滅ぼしたスペインも、ヨーロッパ内の覇権争いに敗れ、第一線の座から退くこととなった。古今東西、諸行無常の響きは絶えることがないと再認識。
さて、ここから我々は何を学び取れるのだろうか。
植民地となり、暴力を伴った簒奪を受けつつも“インカ”の文化・伝統を絶やすことのなかった人々を賞賛し、鑑とすればいいのかというと、それも違いそうだ。彼らの多くにとって、その時点での権力・富・名声を得ることがモチベーションの一つ(かなり大きな、いやほとんど?)だったようだ。そこにおいては文化・伝統の“維持・継承”は手段であって、目的ではない。では、タフに生き残ってきたそのバイタリティを見習うべきか。
人々は“交雑”し、文化も混ざり合って、支配者が押しつけたキリスト教でさえ、元のカトリックの“純粋”な教えからはずれている。人種も文化も、純血主義が尊ばれるべきなのだろうか。それとも、混ざり合うことによって新たなものが生まれてきたことを歓迎すべきなのか。
新たな知見を得るとともに、色々と考えさせてくれる一冊でした。
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