★あらすじ
目に見えないコレクション
第一次世界大戦後のドイツでは経済が疲弊し、古物商を営んでいる「私」は開店休業中。そんな中、昔の贔屓の一人の記録に興味が湧いてきた。その顧客は決して裕福ではないが、父の代からの顧客で、コツコツと逸品を買い集めていた。そのコレクションを一目見たくなり、「私」は田舎町に住むその顧客を訪ねていった。
急に訪ねた私に、家族は狼狽したが、当の顧客である老人は喜んで迎え入れてきた。そして是非とも自分のコレクションを観て欲しいと言ってくれた。しかし、私は当惑してしまった。なぜなら、その老人は完全に視力を失っていたからだ。だが、老人は全てのコレクションを記憶していて、一点ずつ解説をしてくれたのだった。が、しかし。。。
書痴メンデル
ヴィーンのあるカフェ。その奥の席に毎日陣取っているたのが「書痴メンデル」。メンデルは、図書館司書など足元にも及ばないほど書籍に関しての知識を備え、彼に依頼すればそのテーマに関連する書籍をすぐに取り寄せてくれた。メンデルは読書家ではない。しかし、署名や著者名、外観、値段、どこの本屋に在庫があるかなど、その知識は計り知れないものがあった。著名人や大学教授なども彼に書籍を探してもらうためにそのカフェに詣でる状態だった。
「私」も友人に紹介され、そんなメンデルには大いに世話になった。戦争が始まるまでは。
不安
イレーネ夫人は、法律事務所に勤める夫と子どもたちに囲まれ、何不自由のない生活を送っていた。だが、とある夜会で若いピアニストと出会い、惹かれてしまい、そのまま関係を持つようになってしまった。
ピアニストのアパートでの密会のあと、誰かに観られないようにと恐る恐る外に出た時、急に女に呼び止められた。そして自分の彼氏との関係を問い詰めてきたのだ。慌てたイレーネ夫人は財布から幾ばくかの金を取り出し、彼女に渡してその場を逃げ出した。だが、その女はすぐにまたイレーネ夫人の前に現れたのだった。このまま金をむしり取られることを続けなければならないのか、イレーネ夫人はどうして良いのかわからなくなってしまった。
チェスの話
ニューヨークからブエノス・アイレスへと向かう客船。「私」はチェスの世界チャンピオンが同じ船に乗っているのを知った。船上で暇を持て余していた紳士たちは大金を払ってチャンピオンに一戦を申し込んだ。複数人と同時にチェスをする十人指しでの対戦だったが、もちろんあっけなく負けてしまう。ある紳士は熱くなり、さらに大金を払って再戦を何度も申し込むのだった。だが、何度やっても勝てる訳はない。
そんな時、急に後ろから「その手はいけない」とアドバイスをしてきた男がいた。
★基本データ&目次
作者 | Stefan Zweig |
発行元 | みすず書房 |
発行年 | 2011 |
副題 | ツヴァイク短篇選 |
ISBN | 9784622080916 |
訳者 | 辻瑆, 関楠生, 内垣啓一, 大久保和郎 |
- 目に見えないコレクション
- 書痴メンデル
- 不安
- チェスの話
- 解説(池内紀)
★ 感想
映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」を観て、原作が読みたいと思い購入。みすず書房の単行本を買ったのは久しぶりだったろうか。大人の本棚シリーズの一冊となっている。「古典から今日のすぐれた書き手まで、ふさわしい編者の手になる一人一冊の選文集」だそうだ。なるほど、本書を読んでみてその宣伝文句に嘘はなかった。
両大戦間の時代性を色濃く反映した作品群だった。もちろん、それだけでは現代の読者にとって“歴史資料”となってしまうが、同時に描かれている人の性は普遍的なものだ。
同時代性という意味では、第一次大戦後のドイツやオーストリアの経済状況の悪化、そしてその後のナチス政権の台頭による”統制”が基本的な背景となっているようだ。富裕層はもちろん、かつてはそれなりに日々の生活を送っていた市井の人々も時代の流れに飲み込まれ、穏やかな日々が奪われてしまう。そこでは、視力を失ったことがある意味では幸福であったかもしれない、過去の想い出、栄華の中に生き続けること。もしくは生きる意味を見失い、ただ日々の生活をむなしく送るだけの状態。そのどちらかしか道は無くなってしまっていたようだ。
現代の日本に生きる我々も、そこまで切羽詰まった状況ではないものの、世の中の”浮き沈み”はそれなりにある。個人的にも、景気のいい時が続かずに躓いてしまい、にっちもさっちもいかない状況になることだってあるだろう。そんな時に自分だったら、過去の想い出に逃げ込むか、あきらめてその日を無為に送るか、どちらだろうか。いや、「チェスの話」の男のように、理不尽な状況に耐え抜いてなんとか次の機会まで正気を保っていることができるだろうか。
池内紀氏の解説文によると、ドイツ文学者の間でツヴァイクは「世俗的過ぎ」として人気がないのだとか。その時その時で消費されてしまう大衆小説ということだろうか。いや、氏も語っているようにそんなことはない。現に、私が今、この時代に読んでも面白かったのだから。なにせ大人の本棚の一冊でもあるし。
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