読んでいない本について堂々と語る方法

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★あらすじ

私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。

オスカー・ワイルド

著者は大学で文学を教えている。そのため、多くの本についてコメントを求められる。その本を読まずに語る事はタブー視されているが、それは三つの規範のためである。

  1. 読書義務:読書は神聖なものであり、読んでいないことは許されない。
  2. 通読義務:本は最初から最後まで読まなければならない。
  3. 本について語る事に関する規範:その本を読んでいないと語ってはいけない。

しかし、「読んでいない」にも段階がある。ぜんぜん読んだことがない、流し読みをした、人から聞いた、読んだことはあるが忘れた、だ。
本は単独では存在しない。時代やカテゴリーなど、他の本との関係の中で存在している。そのため、その本自体を読んでいなくても、他との関係性から中身が分かるのだ。
また、たとえその本を読んだとしても、全てを記憶しておくことはできない。読んだ直後から、嫌読んでいる時でも既にその内容を忘れ始めている。これは流し読みをしたことと変わりがないのだ。
人は本を読んで理解したと思っても、その理解の仕方は人それぞれ。同じ本を読んでも一人ずつ異なった内容を“覚えている”ことになる。互いに同じ本を読んで語り合うことをしたつもりになっていても、実は互いに異なった内容を元に話をしているのだ。

さて、そのような状況で、読んでいない本について語らねばならない場面にはどのように対応すれば良いのだろうか。。。

★基本データ&目次

作者Pierre Bayard
発行元筑摩書房(ちくま学芸文庫)
発行年2016
ISBN9784480097576
原著Comment parler des livres que l’on n’a pas lus
訳者大浦康介
  • Ⅰ 未読の初段階(「読んでいない」にも色々あって・・・)
  • Ⅱ どんな状況でコメントするのか
  • Ⅲ 心がまえ
  • 結び
  • 訳者あとがき

★ 感想

今村翔吾氏の書店「本丸書店神保町」で、山崎怜奈さんの棚にあった一冊。詳細は下記記事を参照願います。

昔、LPを購入する時にジャケ写を見て決める「ジャケ買い」という文化があったが、本も「タイトル買い」は一般的だろう。とにかくインパクトのあるタイトルだ。それは、著者が語る三つの規範がまさに多くの人に当てはまるからだろう。
私も、このブログで紹介している本は全て読んでいる。読んでいなかったり、途中でやめてしまった本について語る事はない。ただ、私の場合はこのブログも趣味のようなもので、紹介する本もほんのわずかだ。それが本について語るのが仕事になると数もこなさなければならないだろうし、期限が切られていることも多いだろう。そうなると確かに全てを読破するのは不可能かもしれない。

ところが、そんな本書の著者は、本書の中で多くの作品を紹介しつつ引用もして自説を語っている。つまりはかなりの本を読んでいるのだ。引用した作品には「読んだ」「流し読みした」「人から聞いた」「知らない」と、わざわざ分類マークを付けているが、それでも中身を知らなければ適切な引用は難しかろうと思う。が、それがまさに著者の言いたかったことなのかも。その本から何かを得る・知るには通読する必要はないと言うことを示しているのだから。
読んでいて騙された気にならないでもないけど、でも著者の主張は納得できてしまう。何とも不思議な一冊だ。読書について、批評・評論についてこういう考え方もあるのだと感心してしまった。これを読んで自分の読書スタイルに影響があるのかどうか、我ながら楽しみだ。

読書好きの人にこそ読んでほしい一冊。山崎怜奈さんもそう思って「本丸書店神保町」の棚にこの本を置いているのかな。どこかで選書の理由を聞きたいと思います。

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