★あらすじ
現在、日本語の母音は五つである。だが、奈良時代には八つあった。本書では日本語の発音がどのように変化していったのかを叙述する。ちなみに、現代日本語において母音が八つある地域は、著者が住む町に隣接する愛知県名古屋市である。
八世紀、奈良時代に用いられた仮名(いわゆる 万葉仮名) を資料にすれば、かなり正確な古代語音声の再建が可能である(「再建」は言語学用語。本書では同じ意味を適宜「復元」「再現」ということがある)。
そこでは中国音韻学も用いる。中国音韻学は漢詩の 押韻 の規則を復元することにあり、音韻学者は、ある漢字の発音を知りたいとき、既知の漢字二つを重ねて、上字の子音(音) と下字の母音(韻と四声) を連結する方法で行った。
音声言語にとって最も大切な働きは、ある単語を聞いて、別の単語と混同することなく正確に認知できることである。これを 音声の弁別的機能 という。そして、一般的に長い単語ほど丁寧な発音の必要から解放される。微妙な発音の差異は無視される傾向がある。それゆえ、言葉(発音)は変化していくのである。
平安時代に誕生した平仮名は、物語、日記、和歌で発展する。平安の人々は、自らが話す言葉をそのまま平仮名で書き下していった。一方で漢字は、漢文、そして仏教用語を表記するために使用された。
しかし、鎌倉時代になると言葉の変化(発音、文法の変化)もあり、鎌倉人は早くも平安の“古典”を理解できなくなってしまった。
小倉百人一首で有名な藤原定家は、古典を研究し、表記改革を行っていった。漢字仮名交じり文を創始したのだ。総平仮名書きの「源氏物語」などは、彼らにとっても読むのに苦労したのだ。
漢字の読み方、特に音読みだが、漢字一文字に対して異なった読み方が複数ある。これは、漢字の伝来時期のずれや目的(行政文章、仏教用語など)に由来する。
古代、日本が倭国と呼ばれていた頃、倭人(日本人) は中国から伝わった漢字を系統的に勉強した。この古層の漢字の音読みを呉音という。六朝時代は、中国史上例外的に仏教が盛んであったので、呉音には仏教語が非常に多い。「地獄」「極楽」「平等」「成就」「 勤行」等、これらは呉音から構成されている。
次は、六世紀から八世紀の隋唐帝国の律令制度の導入を通じてである。隋唐時代の文化の中心は、洛陽、長安のような 黄河 流域であり、この地に留学した日本人が持ち帰ったのが新層の漢音である。
漢字音の三番目の層が十三世紀、鎌倉時代の 日 宋 交流がもたらした 唐音 である。唐音は、宋代の文物、特に禅宗とともに入った語が多い。
日本漢字音のように多量かつ体系的な重層構造は、中国をはじめ同じ漢字文化圏の朝鮮やベトナムでは存在しない。日本においてだけこのような規則的な対立が、対立したまま現代語まで持ち越された。その背景的理由としては、呉音、漢音、唐音のそれぞれが日本語の音体系から相対的に隔離されていたことが挙げられる。それらの音読みは、呉音は仏教集団、漢音は貴族集団というように、それぞれの社会集団内で伝承された。中世以後は、伝承された音読みを保存したまま、漢字と漢字文化が民衆に下降した。
これらが今に至るまで残り、漢字の読みを複雑なものとしている。
★基本データ&目次
作者 | 釘貫亨 |
発行元 | 中央公論新社(中公新書) |
発行年 | 2023 |
副題 | 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅 |
ISBN | 9784121027405 |
- はじめに
- 序章 万葉仮名が映す古代日本語音声 唐代音からの推定
- 第一章 奈良時代の音声を再建する 万葉びとの声を聞く
- 第二章 平安時代語の音色 聞いた通りに書いた時代
- 第三章 鎌倉時代ルネサンスと仮名遣い 藤原定家と古典文学
- 第四章 宣教師が記録した室町時代語 「じ」「ぢ」、「ず」
- 第五章 漢字の音読みと音の歴史 複数の読みと日本の漢字文化
- 第六章 近世の仮名遣いと古代音声再建 和歌の「字余り」から見えた古代音声
- おわりに
- 注
- キーワード一覧
★ 感想
「室町・戦国時代に日本にやってきたポルトガルの宣教師によって辞書が作られて、そこから当時の日本語の発音が推測できた」という話は前から聞いたことがあった。だが、それよりも遙か昔、万葉集の次代にまで遡れるとは驚きだった。その前に、万葉集がこのような調査発見のソースとして使えるくらい、現代にまで伝えられ、残っていたこと自体が驚きかもしれない。
万葉仮名として、漢字を表音文字として使用し、大和言葉を書き表したのが奈良時代。そして平安時代に「平仮名」が作り出されたということで、両者(万葉仮名と平仮名)は同じもの(万葉仮名がそのまま平仮名に“進化”した)と思っていたけど、万葉人と平安の人々では話す言葉(音)が違ってしまっていたのだそうだ。平仮名は、平安人が喋る言葉通りの音だったようだが、母音を八個も持っていた万葉仮名(万葉人の言葉)から変化してしまっていた。
言葉は変化していくものとは言え、コミュニケートされる情報量が現代とは比べものにならないくらい少なかっただろうこの時代でも、ガラリと変化してしまうものなのだと再認識。現代の「ら抜き言葉」や「ギャル語」など可愛いものなのかもしれない。「正しい言葉遣いをしましょう」なんてのは「いつの時代の言葉が基準なの?」と聞き返さないといけないようだ。
藤原定家が国語(文章を漢字仮名交じりで記述すること)を確立したということにも驚き。歌人としては、小倉百人一首や勅撰和歌集を作ったことで第一人者であることは周知の通り。古今伝授を体系化したことでも知られているだろう。でも、それだけではなかった訳だ。確かに、当時(平安時代や鎌倉時代)は漢字(で書かれた言葉)は“外来語”だった訳で、songやwordなどと、直接、日本語文章の中に永代語をアルファベットで混在させるようなもの。それを許容する体系をまとめ上げたことで、日本語の表現力が格段に上がり、現代を生きる我々もその恩恵に浴している。そんな凄い人だったとは、いや、お見それしました。
知らなかった話、ちょっと囓っただけでよくわかっていなかったことがドンドン出てくる凄い一冊だった。うむ、久しぶりに“勉強した!”となった。面白かった。
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