★あらすじ
本書は藤原道長の日記「御堂関白記」の現代語訳である。最初の年 長徳元年(995年)は、藤原道長が三十歳、時の天皇一条帝が十六歳、藤原道長の姉であり、一条天皇の皇太后である藤原詮子が三十四歳、そして藤原道隆(藤原道長の兄)の娘で、一条天皇の中宮である藤原定子が二十歳の年だ。
995年12月1日 右近少将源方咲理朝臣が、勅使として駒牽の馬を牽き分けて来た。私は病悩していると称して、自らは逢わなかった。(中略)これは通例のことである。
999年10月4日 長徳三年(997年)の不堪佃田奏が有った。 (二年前の不作報告をこの時期に受けているのはいかがなものか?遅すぎるのでは?)
1000年1月1日 陣座において見参簿の奏上が有ったのに、諸卿は伺候しなかった。これは諸卿が儀式を知らなかったのだろうか。もしかしたら、儀式を主催する私が、それに相応しくはないのであろうか。不審に思った、不審に思った。
1004年6月4日 右大弁(藤原成行)の許に紙を送り、手本を書かせた。(藤原)頼通のためのものである。
1005年3月26日 左右の獄囚に、今日から検非違使の官人を通じて食物を下賜した。ただ今は、左右の獄に合わせて六十九人の囚人がいる。
1005年12月21日 天皇の御前から播磨守(藤原)陳政の申文を賜った。「私は私物で常寧殿と宣燿殿の二つの殿舎を造ります。播磨守を重任させるという宣旨を賜りたい」と。 (私費で御殿の造営を行う事で国司任命(継続)を願い出る事が多かったよう。他にも似た記事が出てくる)
1007年6月12日 流星のことについて、仰せがあった。私が奏聞したことには、「御社を行われるべきでしょう」 (数日後、大赦が行われた)
1007年8月11日 金峰山詣にいく。 (道中、そして目的地で布やら米やらを納めていったが、それだけでものすごい量の荷物だっただろう。どうやって運んだのだろうか?)
1008年2月9日 花山院が崩御した。固い物忌のため内裏に参れない。 (葬送の儀の問い合わせがあったにも関わらず、物忌だからと参内を断っている。これはどういうことか?)
★基本データ&目次
作者 | 藤原道長 |
発行元 | 講談社(講談社学術文庫) |
発行年 | 2009 |
ISBN | 9784062919470 |
訳者 | 倉本一宏 |
- はじめに
- 凡例
- 長徳元年(995)~寛弘四年(1008)
- 用語解説
- 人物注
- 年譜
- 系図
- 関係地図(平安京北半・北辺)
- 平安京内裏図
- 清涼殿図
- 一条院内裏図
- 土御門第図
- 方位・時刻
★ 感想
公家の書く日記は、有職故実の知識を残すのが目的と聞いたことがある。儀式のしきたりを知っていることが、政治を動かすために必要なことであり、それを子孫に残せば家の繁栄が保たれる、と言う訳だ。この「御堂関白記」もそのためでもあったのだろうが、それ以上に個人的な想いや感想が書かれているのが面白い。そこが、同じ月日ごとに記事が書かれている「吾妻鏡」のような“歴史記録書”との違いなのだろう。その反面、そして時代的にも大きな事件や合戦の様子が描かれている訳ではないので、単調ではある。なにせ、「今日も雨が降った」という記述が何日も続いたり、「物忌なので家にいた」だけの日が一杯ある。
公家の仕事は日本を治めることだが、実務的なことは下級の公家や各国の地方勢力に任せていて、もっぱら儀式を行うことが多かったようだ。もちろん、当時は仏に祈ること自体が国を安定させ、災害を防ぐことだと信じられていた訳だから、公共事業や国防、災害対策をしていたことになるのだろう。その意味では熱心に仕事をしていたようだ。
ただ、物忌(陰陽道による、良くない日と言われた日)や触穢(穢れたものを見る・触れる)などで公務を平気で休んでしまう。花山院が崩御したときも、藤原道長は物忌だと言って葬送の儀をどうするかの議論に欠席している。現代とは大きく感覚の異なるところだ。まさに、生きている世界(観)が違っていたのだろう。
それでいて、子どもに与えるために写本を用意したり、他の公家たちのミスをグチグチと書きつらったりと、我々と同じ感覚も持っていたんだということも分かる記事が少なくない。知識の違いはあるものの、人の感性は千年前から変わっていないんだなと納得してしまう。
大河ドラマ「光る君へ」の“予習”の意味で読み始めた「御堂関白記」。とにかく登場人物が膨大で、しかも知らない言葉・有職故実が出てくるので、なかなか大変。用語解説や人物注は付いているものの、本文中には用語解説・人物注ページの項目へのリンクがないので、どの言葉の説明があるのかないのかすぐには分からないのも難点。上巻を読み終わってから思ったが、まずは用語解説・人物注ページを一通り読んでから本文を読み始めるのが良さそう。全ての言葉の意味を覚えていなくても、この言葉の説明は書いてあったなと当たりが付くので。これから読む人にはこの方法をおすすめします。
大河ドラマでも初めてこの時代が取り上げられたとか。確かに、平安時代というと終盤の源平の時代は馴染みがあるものの、それ以外は源氏物語や陰陽師の世界というイメージが強かった。それだけにこの日記を通して知らなかった世界を知ることができ、興味が増してきた。彼らの世界観・価値観・常識を知ることは、今流行りのダイバーシティを理解することにも通じるだろう。
あと二巻(中巻、下巻)、大河ドラマが終わる年末までに読み終えられるかな。
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