★ あらすじ
呪詛板とは、他の人間や動物に対して影響を及ぼしてもらおうと、超自然的な力を招来するために用意された、小さくて薄いシート状の、文字の刻まれた鉛の薄片のことだ。材料は陶片だったり、石灰石だったりすることもある。古代地中海世界の国々で作られ、これまでに1,500点以上が発掘されて、研究対象となっている。
古代の人々は、訴訟相手が公判の場で証言が出来なくなるように、騎馬戦車戦の相手チームの馬が走れなくなるように、商売敵の商売がうまく行かなくなるように、浮気相手の恋敵が愛の言葉を喋れなくなるように、呪縛を祈った。神々や、超自然的な存在に対してその願いを訴えるための道具が呪詛板だ。多くの場合、神々へ取り繋いでくれる役割を死者に託すため、呪詛板は墓地に、墓の中に埋められた。また、その際、呪詛板は折りたたまれ、釘で留められることもあった。
呪詛板は無知蒙昧の人々だけが信じた、作成したものではない。貴族だったり、宗教家(当時の知識人)や哲学者たちなども呪詛板の“効果”を恐れていた、つまりは信じていたのだ。ローマ時代、呪詛板はローマ法によって違法行為とされた。それは、国家が呪詛板の威力を認めていたことでもある。
呪詛板は「魔術」ではない。「魔術」という用語は、「宗教」に対置されるもので、特にキリスト教が自身を正当化し、他者を排斥するために用いるレッテルだ。
(「金枝篇」の)J. G. フレイザーの時代から今に至るまで、魔術や呪術は宗教として確立する前段階のもので、宗教が確立した後には時代遅れのものとされていた。だが、その意味においても呪詛板は宗教以前の存在ではない。ローマ帝国においてキリスト教が全盛となった後も呪詛板は製作され続け、人々は信じ続けていた。「呪詛板の呪縛を跳ね返した」ことを誇る聖人の逸話も残されていて、逆に言えば、その話は呪詛板には呪縛の効果があることを認めている訳だから。
本書では、そんな呪詛板を、“目的”別に分類して紹介して行く。
★ 基本データ&目次
作者 | John G. Gager |
発行元 | 京都大学学術出版会 |
発行年 | 2015 |
ISBN | 9784876988914 |
原著 | Curse Tablets and Binding Spells from the Ancient World, 1992 |
訳者 | 志内一興 |
- はじめに
- 序章
- 第1章 競技呪詛板——劇場や競走場で
- 第2章 性愛の呪詛板——セックス、愛、そして結婚
- 第3章 訴訟・政争——「法廷で舌が麻痺しますように!」
- 第4章 ビジネス、商店、酒場での呪詛板
- 第5章 正義と復讐を求める嘆願呪詛板
- 第6章 その他の呪詛板
- 第7章 護符、解毒呪文、対抗呪文
- 第8章 文学史料、碑文史料の証言
- 特殊用語解説
- 訳者あとがき
- 本文注
- 索引
★ 感想
呪詛板の存在、全く知りませんでした。この本で初めて知ったんですが、とても興味深い存在ですね。“声なき民の声”がこんな形で、ここまでしっかりと、たっぷりと残っているとは驚きです。日本でも似たようなものはあったんでしょうけど、きっと紙や木、そして藁(藁人形の藁!)などで作られていたので残らなかったんでしょう。鉛製にしてくれてありがとう、という感じです。
男も女も、庶民も貴族も、そして知識人たちも、誰もが呪詛板、呪文の威力(効果)を信じて疑わなかったということにまず驚き。しかも、それが地中海世界(地中海を介して人の行き来のあった沿岸国)全体に渡ったものだったり、古代ギリシャの時代から中世に至るまでの千数百年も続いていた慣習だったこともビックリ。しかもしかも、ユダヤ教やキリスト教、そして各地域の宗教を信じていた人々も、自分たちの信仰と併せて呪詛板を恐れていたという事実もとても興味深い。
互いに殺し合いまでして自分たちの宗教の優位性(それは国や民族の優位性に等しかったのだろうけど)を求めていた人間。でも、結局のところ「自分が呪われることは恐ろしい」という、素朴な宗教観は共通だったのだ。確かに、現代に生きる我々も星占いのお告げに日々、一喜一憂するし、おみくじで大吉を引き当てればうれしいものだ。千年どころか、二千年以上たっても変わらない。
そんなことを教えてくれるこの呪詛板・呪縛呪文は宗教・信仰の核心を貫いた存在なのかも知れない。
また、ギリシャやローマの時代には「女性の社会進出」も普通の話だったことだということも呪詛板は教えてくれている。商売上のトラブルで訴訟を起こした時に呪詛板を作成したのは女性も大勢いたとのこと。つまり、女性経営者がそれだけ多く存在したということだ。こんなことは、国勢調査や会社の登記をきちんとし始めた時代以降じゃないと分からないようなことなのに、呪詛板は明確に示してくれているのだ。
こんなにすごい歴史的資料がつい最近までちゃんとした研究対象になっていなかったということも驚き。まさに宝の山なのに。フェルナン・ブローデルが、個々の国の歴史を語るのではなく、地中海を中心に据えた歴史観を打ち出したのと同様、宗教史観も呪詛板を中心にして捉え直したら、より広い範囲の流れを語ることが出来るのじゃないだろうか。そんな気がした。
とは言いつつ、かなりマニアックな一冊ではありますが、読んで損はない一冊でしょう。
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