グノーシスの神話

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★あらすじ

名前は聞いたことがあっても、どのような思想・考え方なのかは知られていない“グノーシス”。ギリシア哲学のストア派の自然観、そしてユダヤ教・キリスト教の創造信仰のアンチテーゼとして捉えると分かり易い。
ストア派では、「万物にはロゴスが宿り、至高のものから悪も含めて八階層をなし、ロゴスが全てを結びつけてこの世界の調和を形作っている。個々の人間の魂も同様に八つの部分に分かれている」という考え方をする。自然と人間とは同一構造なのだ、自然と人間とは調和しているのだ、と言うこと。グノーシスの考え方ではそんな“構造”が牢獄のようだと捉える。本質的なものが、幾重にも囲まれた肉体に捕らわれているというのだ。
初期ユダヤ教・初期キリスト教では、創造神・唯一神であるヤハウェが全てを作り出す。ヤハウェは絶対であり、被造物の一つである人間はそれに比べて卑小な存在でしかない。だが、グノーシスではその非対称性を否定する。人間本来の魂は“世界の外”と繋がっていて、それは造物神を超えるものである、つまりは人間の本質は神そのものであると考える。
自然が一つに統一されているものだったり、唯一神だったりの考え方では、この世界に“悪”が存在することを説明できない。真の“神”はこの世界の外に存在するからこそ、この世界には悪もあるのだという訳だ。

ナグ・ハマディ文書は、1945年、上エジプトの古代ローマ時代の墓から発見された。紀元後四世紀頃に製作されたと考えられている写本十三巻からなり、グノーシス主義者たちが自らの手で書いたものだ。それまでマンダ教やマニ教の経典などを通してのみしか知られていなかったグノーシス主義。それが直接的に知ることがこの文書によってできるようになったのだ。
ただ、ナグ・ハマディ文書にはさまざまなグノーシス主義グループの文書が混在しているため、全てが一貫した内容ではない。また、詳細な説明もなく、さまざまな固有名詞が登場する。一度きりしか登場しない“神の名前”などもあり、これも読解を困難にしている。共通項を大ぐくりに捉え、固有名詞にこだわりすぎずに読むことが肝要だ。
マンダ教でもマニ教でも、「光」の原理と「闇」の原理とは最初から、元から存在しているものだとされている。だが、ナグ・ハマディ文書のほとんどの文書(例外は「シェームの釈義」のみ)では、「光」の原理から「闇」が導出される形で示されている。いずれにせよ、人間はその本質として「光」を宿しているが、肉体(物質的世界)という「闇」によってそれが覆われてしまっている存在だとしている。そして、「光」を救出して本来の姿に戻り、この物質的世界の外にある「光」の世界へと回帰することが必要だとしているのだ。

本書後半では、グノーシス主義の流れを汲む二大宗教「マンダ教」、「マニ教」を紹介している。また、最終章では「ニューエイジ」や「新興宗教」など、現代におけるグノーシス主義の影響を概観している。

★基本データ&目次

作者大貫 隆
発行元岩波書店(岩波人文書セレクション)
発行年2011
ISBN9784000285100
  • Ⅰ グノーシス主義とは何か
    • 一 グノーシス主義の世界観と救済観
    • 二 グノーシス主義の系譜学
  • Ⅱ ナグ・ハマディ文書の神話
    • 一 世界と人間は何処から来たのか
    • 二 世界と人間は何処へ行くのか
    • 三 今をどう生きるか
  • Ⅲ マンダ教の神話
    • 一 マンダ教について
    • 二 「ギンザー(財宝)」の神話
  • Ⅳ マニ教の神話
    • 一 マニとマニ教について
    • 二 マニ教の神話
  • 結び グノーシス主義と現代

★ 感想

ここでも「マニ教」を紹介したが、こちらはその元となった(と思われる)グノーシス主義。現世のこの世界を全て否定し、真実(人間の本質)は世界の外にあるとした思想は大胆だ。宗教間の争いとして、どちらが本質的なのか、この世界を“説明”できるのかがポイントになると思うが、創造神・創造神話を全否定して、さらにその上があるぞというグノーシス主義はかなり強力だと思う。また、一神教の“弱点”である(と思う)「どうしてこの世界には悪が存在するのか。なぜ、神は人に災いをもたらすのか、もしくは災厄に苦しむ人々のことを見て見ぬ振りをするのか」という問いに対しても、それは唯一神だと思っている神が偽物の(本質ではない)神だからだ、と説明できるのも強い。

だが、現世を完全否定して、死んだあとに「光」の世界に帰ろうという考え方はとても厭世的な思想だ。戦乱や災害で疲弊した人々がこの世の幸福を諦め、あの世の浄土を夢みる鎌倉新仏教のようなものだ。それ故、搾取される農民などを中心にした教えのような気がする。だが、グノーシス主義は(古代の)都市住民・知識層が主たる信奉者だったそうだ。不思議に思うが、その時代はローマ帝国が世界を席巻していた時。属州となった国々では自己のアイデンティティを失い、途方に暮れた人々が多かったのだとか。そんな人たちに新たな思想として受け入れられていったのだろう。また、それが成就するのは死後だとしても、自分自身が実は神(の分身)であるというのも、自信を喪失していた旧支配層にも受けた理由かも知れない。

そんなユニークな存在だが、「マニ教」でも語られていたが、グノーシス主義も“否定神学・神話”であるため、その文章はとても読みにくい。文字通り、「×××ではない」という形の表現が続くと、何が言いたいのかだんだんと分からなくなってしまう。だが、本書では、ナグ・ハマディ文書の各神話の部分部分を体系的に並べ、順に解説を入れてくれているので、難解な文書もなんとか理解できた。
また、ナグ・ハマディ文書だけではなく、キリスト教側から見た“異端”としてのグノーシス主義の批判文書も併せて紹介している。グノーシス主義の神話そのものよりも、異端批判として書かれた文書の方が要点をまとめてくれているので、実は分かり易いのだ。実際に、同じことを語っている部分を本書では上下二段の段組で並記するなどし、さらに理解を深める工夫がある。
「マンダ教」や「マニ教」の解説もあるし、入門書としてとても良いものになっている。
善と悪の二元論というとゾロアスター教が思い浮かぶが、グノーシス主義はそれとも異なり、「神(光)は人間の中にあり、人間は神そのものだ」というなかなか壮大な思想だったのだと言うことを改めて知ることができた。そして、最終章では現在に生きるグノーシス主義的思想にも触れていて、実は意外と身近な存在だったことにも気づかせてくれる一冊だった。

なお、私が読んだのは、古書店で入手した岩波人文書セレクション版ですが、絶版になっています。その代わり、講談社学術文庫(2014)として再刊行されていますので、これから読んでみようという場合は、そちらが手に入りやすいでしょう。

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