★あらすじ
原著初版は1923年。本書は1971年発行の第十一版を元に翻訳されたもの。
“わたし”は友人を伴ってプラド美術館を訪れる。観て回れる時間は三時間と限られているとしよう。そんな場合、どこをどう観て回れば良いのかを紹介したい。
芸術には二つの価値があり、これらを元に作品群を観ていく。一つは建築的価値・空間的価値であり、もう一つは機能的価値・表現的価値・音楽的価値だ。前者は幾何学の領域であり、後者は意味の領域に接近する。どの芸術作品も二つの価値を持っているが、その割合が異なっている。支え合うフォルムに至上権を与える傾向を古典主義と呼び、飛翔するフォルムへの信仰をバロキスムと呼ぶべきである。
入口ホールを通り、彫刻陳列室を抜けると小さな部屋がある。ここではニコラ・プーサンの「メレアグロスの猪狩」を観よう。この作品はレリーフのように描かれていて、幾何学が生に圧勝している。自然は秩序づけられ、非ロマン的な風景が広がっている。
クロード・ローランの風景画は、その後のコンスタプル ⇒ ターナー ⇒ 印象派の画家たちへと続く、自然主義への流れの中にある。だが、それは将来のこと。彼の古典主義はアカデミータイプのものであり、文学的な暗示と建築と廃墟によって人間化された精神的な風景だ。「オスティア港」では自然の要素は姿を消し去っている。
マンテーニャの「聖母の死」は、イタリア画家の作品を集めた部屋にあるが、小品なので慣れない訪問者には見つけにくいだろう。純粋に知的で明快なこの作品は、官能、快楽、輝きの痕跡さえない。すべては正確に配分され、構成され、論理に依っている。これ以上見事に構成された作品はない。
これらの画家は空間的価値の優位を代表している。一方、表現という熱い分野に燃えた絵画が、そのマチエールを音楽に、あるいは詩に、抒情に変えようとしている領域がある。その代表がエル・グレコとフランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテスだ。
★基本データ&目次
作者 | Eugenio D’ors(エウヘーニオ ドールス) |
発行元 | 筑摩書房(ちくま学芸文庫) |
発行年 | 1997 |
ISBN | 9784480083876 |
訳者 | 神吉敬三 |
- プラドへの道すがら
- フランスとイタリアの古典的な作家たち
- エル・グレコとゴヤ
- ベラスケス
- プリミティヴの画家たち
- スルバラン、ムリーリョ、リベラ
- ゲルマンの人、デューラー
- ヴェネチア派
- ルーベンスとその弟子たち
- 終章
- 展覧会を訪れる人々への忠告
- 告白
- 解説 プラドへの至福のチチェローネ 大高保二郞
★ 感想
なんと知的で、そしてオシャレな作品なのだろうか。美術論・絵画論を単に論じるのではなく、人々が慣れ親しんでいる美術館を観て回る形を取ってその論理を展開している。そして、画家たちの作品を上手い具合に紹介し、自身の考えを論じている。“三時間で観て回る”という期限を切る形にし、ここの作品の解説・分析は余り深入りしないようにしている。そのお蔭でテンポの良い話の展開になっていて読み易い。古典主義とバロックってこういうものなのかと納得。構図をきっちりととる古典主義に対して、人の生を感じさせるのがバロックなのかな。どちらも芸術の形式としてはアリだなと思わせてくれた。
美術論というと、なかなか理解しにくいものがあるイメージなのだが、本書はとても読み易いし、その言わんとしているところも汲み取り易い。主観的な感想”を並べ立てているんじゃないかという美術書も多いが、本書は違っている。素人にも分かり易く、それでいてきちんと論理を展開している。
残念ながら私はプラド美術館へ行ったことはないのだが、ここで論じられている作品の一部は挿絵として(残念ながらモノクロだが)挿入されている。そのお蔭で「なるほど、そんな風に見えるな。確かに“幾何学的”だ」などと、ちょいと分かりにくい表現(空間的だの、表現的だの・・)も分かったような気にさせてくれる。
現在のプラド美術館は改装が進んで、残念ながら本書の通りには観て回ることは出来ないようだけど、それでも参考にはなりそう。それに、美術展の音声ガイドがこんな感じだったら楽しそう。でも、オーディオブック並みの値段になっちゃうかな。それでもいいんだけど。
コメント
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