第三の魔弾

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★あらすじ

。義眼の大尉と呼ばれている主人公は、記憶を失い、今は皇帝の兵士として従軍している。
その皇帝カルロス五世の元に、ルター派のザクセン候が叛乱の罪で引き立てられてきた。兵士たちはその行列を見て揶揄し、騒いでいる。そして、いつしか伝説の「ラインの暴れ伯爵」の話になった。その昔、新大陸に渡り、コルテスの無敵軍を敵に回して戦った男だ。だが、持っていた銃の三発の銃弾に呪いがかけられ、一発目でその土地の高貴な王を、二発目で無垢な娘を、そして三発目で自分自身を撃った。そんな昔話だ。だが、「奴は死んでいない!」と叫ぶものがいたり、「三発目は奴には当たっていない」と主張するものもいた。
そんな話を聞いていた義眼の大尉は、なぜか頭が痛み出し、消えてしまった記憶がうずくのだった。

「ラインの暴れ伯爵 グルムバッハ」は領民想いの領主であった。ドイツ農民戦争では農民たちの側につき、さらにはルター派の側につき、横暴なカトリックの坊主たちと対立した。そんなこともあって皇帝から不興を買い、ここ新世界へと、農民上がりの家来たちとともに逃げてきていたのだ。新世界では、元々自分たちが農民だったこともあり、現地人たちと上手くやっていた。土地を耕し、この地に根付こうとしていたのだ。

だが、そんな平和もスペイン人たち、そしてスペインの無敵軍を率いるコルテスの侵略によって風前の灯となっていた。グルムバッハたちは、この新天地でも原住民たちとと共にコルテス軍に対して抵抗闘争を繰り広げていた。なぜって、グルムバッハの脳裏には、逃げ惑う領民たち・農民たちの姿が消えずに残っていたから。

★基本データ&目次

作者Leo Perutz(レオ・ペルツ)
発行元白水社
発行年2015
訳者前川道介
  • 序曲 クレモニウス博士の葡萄酒
  • グルムバッハとその三発の魔弾の物語
  • 兄弟
  • 新世界
  • 神の大砲
  • 緋色のズボン
  • 深紅の鷺
  • 悪魔の小麦
  • ドイツの夢
  • 謝肉祭
  • 刑吏
  • 小銃
  • 呪い
  • 暴れ伯の騎行
  • 貢ぎ物
  • 死者のミサ
  • 第一の魔弾
  • ペドロ・アルバラード
  • 我等ノ父ヨ
  • カタリーナ
  • メルヒオル・イェクラインの誓い
  • 第二の魔弾
  • コルテスの逃亡
  • 終曲 第三の魔弾
  • 解説 レオ・ペルッツの幻想的歴史小説

★ 感想

巻末の解説によると、著者はユダヤ系のオーストリア人。高等中学校卒業までプラハで暮らし、ユダヤ人の富豪もいれば、ゴミゴミしたゲットーの雰囲気も肌で感じて育ったのだそうだ。だからだろうか、“幻想的歴史小説”と評された本書のような作品を残しているのだろう。
ドイツ人が南米に渡って、コルテスたちと戦ったという史実はないと思う。でも、「源義経が生きて中国大陸に渡りってジンギスカンになった」的な、判官贔屓的ヒーロー像という感じかな。農民戦争やらなんやらで民衆の見方だった「暴れ伯爵」はそんなイメージだ。そのためか、異国の、しかも馴染みの薄い時代の話ではあるが、なんとなく親近感が沸いてきて、先を読み進めることができた。なお、解説の話では、この主人公には歴史上のモデルっぽい人がいるようだが、もちろん、新大陸に渡ったことはない。それも源義経と同じ(?)。
あと、宿敵コルテスの存在感もいい感じ。「冒険者たち-ガンバと15ひきの仲間」という童話をご存じだろうか。その昔、アニメにもなっていた。その中に出てくる悪役の“ノロイ”のイメージが、この作品のコルテスからも感じられた。クールで、表面上は紳士然としている。でも、その内側は冷酷無比。これは歴史上のコルテスのイメージにも重なるものがあるだろう。でも、後半のコルテスはそのイメージがだんだんと変わってくるのだ。そこがまた面白い。

最初は文体や台詞に戸惑いもあったが、だんだんとこの雰囲気に飲まれていった感じ。なんとも不思議な魅力のある作品だった。

ところで、中世の人々の“冗談”はあんな感じなのだろうか。兵士たちが戯れ言で喋っているのは、当時の流行りの表現らしい。これは本当のようで、著者はしっかりとその辺りを研究して使っているのだそうだ。何かというと、「神様がそんなことは信じない」だの「悪魔が笑うぞ」と叫んでいる。当時の人々の共通の知識(==常識)は、村の協会で教わった説教などがベースになっているのだろう。神の実在を全く疑っていないのだ。彼らが見ていた世界は、彼らの“常識”のフィルターを通して作られたもの。我々の見ている世界とはずいぶんと違っていたんだろうな。

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