★あらすじ
政治の世界では勝者・敗者が次々に入れ替わっていった。
栄華を極めた平家。彼らは朝廷・公家政治の中枢部を簒奪して京都に政権を樹立した最初の武家だった。しかし、各地の知行国や荘園を平家一門で抑えるものの、結局は全国の武士集団の利益代表という訳ではなく、あくまでも平家に連なるものの代表だった。そこに、不満を持った各地の武士たちが源氏の元に集結、倒されることとなってしまった。
跡を継ぐ源氏政権は全国の武士に対する恩賞権限を獲得し、武士たちの利益代表となる。その時点で、自分だけが手柄を上げる形になって、他の武将たちの出番を無くしてしまった義経は敗者となってしまったのだ。
中世は中央においては武士の身分が高まっていった時期だが、地方では初期、農民と武士との境が曖昧であった。当時の土民は、代官などの為政者の不正や悪政に対して一揆を起こすことが少なくなかった。だが、江戸時代の農民一揆とは異なり、一揆は“訴訟”として為政者からも認知されていて、実際に悪政の元となっていた代官が罷免されることもあったという。これは、地下侍が土豪と名主という二つの顔を持ち、農民も戦時には足軽となるため、彼ら土民(農民だけではない、“その土地に住んでいる人々”の意)との契約が武士集団としては必要だったからだ。
だが、中世も時代が進むと武士と農民との身分制度が固まってきて、特に武士は農村から切り離され、中央から連なるヒエラルキーに組み込まれていく。ここで農民たちは被支配者として固定化されていく。とは言え、戦国時代を通して領主(武士)は次々と入れ替わっていくことになるが、農民たちはその土地に根付き、力強く生き残る。決して勝者ではないが、負けざる者と言えるだろう。
文化面では、中世において様々な民衆芸能が生まれ、公家・武士たちにも浸透していった。
義満の時代、能は特に庇護を受ける。中でも世阿弥は義満から寵愛される。だが、義満が亡くなって、息子の義持の時代になると状況は一変する。父の政策にことごとく反発した義持は、義満が推進した日明貿易もその朝貢形式が侮辱的だと禁じてしまう。そして世阿弥も遠ざけられてしまった。さらに義教の時代になると、世阿弥は息子とともに御所への出入りを禁じられてしまったのだ。そしてついには佐渡配流となってしまう。その時点で世阿弥は“敗者”となってしまった訳だが、彼の能・芸能に対する理論は現在にも受け継がれていて、結果としては勝者となったと言えるだろう。
★基本データ&目次
作者 | 鍛代敏雄 |
発行元 | 吉川弘文館 |
発行年 | 2013 |
ISBN | 9784642064576 |
- 中世の勝者・敗者から学ぶこと プロローグ
- Ⅰ 政治の転換点―勝者と敗者の構図
- 治承・寿永の内乱から承久の乱
- 蒙古襲来から南北朝の内乱
- 将軍権力の興亡
- 天下静謐戦争の覇者
- Ⅱ 身分・宗教・一揆―変容する中世社会の多様性
- 寺社勢力と宗教、そして信仰
- 中世の一揆
- 身分と階級の変動
- Ⅲ アジアのなかの日本―列島海域の勝者と敗者
- 国際港市の回路
- 海賊と倭寇
- 琉球王国の盛衰
- Ⅳ 国民文化の曙光―敗者の視座
- 文学の思想
- 権力者と庶民の演劇
- 亡国の文化遺産
- 利休天下一の茶
- 中世の勝者・敗者からみえること エピローグ
★ 感想
日本の中世という時代を、政治・宗教・外交・文化と、多岐に渡って概観しようというのが本書の目的。その観点として「勝者・敗者」をキーワードに置いた感じだ。
その分、話がずいぶんと飛ぶので、ついていくのが大変かも知れない。ある程度の、この時代の歴史に関して知識がないと置いて行かれてしまうでしょう。日本史の教科書を引っ張り出し、手元に置いておくといいかも知れない。
「平家物語」で代表されるように、平家と言えば“敗者”の代表というイメージがある。だが、公家に代わって武士政権を初めて樹立した功績は大きいことが分かる。平家に対して勝者となった源氏と北条氏は、平家の失敗から学んで、自分たちの政権を強固にしていったことがよくわかった。これは現代の我々が歴史を学ぶことの意義にも通じるものがあるでしょう。
平家所縁の者だけが得するのではなく、良くも悪くも賞罰を全国の武士に対して行うようにした(少なくともその権限を得た)のは大きい。それは、承久の乱のあとに「御成敗式目」としてルールを明文化したところにも現れている。まあ、そんな鎌倉幕府もその後、敗者となってしまう訳だが。
政治の世界では、その意味では未だに勝者はなく、次々と敗者を生み出していくだけに思えてきた。その一方で、文化においては、茶の湯や能は五百年の時を経ても、形式としても変容することなく現代に受け継がれている。今のところ、勝者と言えそうだ。もちろん、個々のプレイヤーを見ていくと、上述の「あらすじ」で書いたように、世阿弥などはその時点では敗者となってしまった。そのように、不遇のうちに世を去った人も多いだろう。だが、文化としての能は受け継がれている。リチャード・ドーキンスが「利己的遺伝子」で語ったミームの考え方からすると、個人は死すとも文化が生き残っていくのは必然なのかも知れない。そんなことも思い出させてくれるエピソードだった。
平家物語から琉球王国、そして千利休と、かなり広範囲な話の展開に戸惑うが、全体を見るよりも、個々の話をそれぞれに読んでいくのが良さそうだ。歴史をちょっと違った観点で見直してみる。そんなためにはよい一冊だと思う。
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