★あらすじ
表題作の「エル・アレフ」を含む短編集になっています。
● 不死の人
ある骨董商から購入した「イリアッド」(ホメロスが書いたと言われる、古代ギリシアの長編叙事詩)から英文で書かれた手稿が発見される。以下、その訳、として物語が語られる。
「私」はディオクレティアヌス(三世紀のローマ皇帝)の治世の時、テーバイの庭園で働き始めた。そこに、馬に乗った血まみれの男が現れ、不死の水の流れる川と、不死の人の町を探し求めていると語ったが、すぐに死んでしまった。「私」はその川と町とを探そうと決意し、旅だった。
人を雇って旅に出たが、灼熱の砂漠を越えるうちに死に絶え、自分一人となってしまった。そんな自分も悪夢にうなされたのちに目を覚ますと、砂混じりの濁った川のそばで、獣のような種族トログロディト族に囚われてしまっていた。その川の向こう岸には不死の人の町と思われる景色が広がっていたのに。
何日も捕らわれの状態だったが、何とかそこを抜けだし、対岸の町へとたどり着くことができたのだ。だが、その町の建物は全てがちぐはぐだった。中庭を取り囲む建物は形も高さも不規則だし、階段の踏み台の高さや幅も一定していない。それでいて造られたのは恐ろしく古く、人間よりも以前から、大地よりも以前からあったに違いないと思えた。
そこにトログロディト族の男が現れる。「オデュッセイア」に出てくる老犬アルゴスを思わせる男だった。試しにその男に「オデュッセイア」について訪ねてみると・・・。
● 待つ
男はサンパウロのノロエステ街で馬車から降りた。目立たぬように注意をしていたはずだったが、御者に代金として外国の貨幣を差し出してしまった。さらにはその時に「しまったという顔をしてしまう」二重に失敗をしてしまう。
ホテルの部屋に入ると彼は数週間のあいだ、一歩も外に出ないようにした。要約、夕方に外出用になると、映画館に入った。そこでは暗黒街の悲劇的なストーリーが繰り広げられていたが、自分の生活の一部と同じものがそこにあったものの、そのことに気づくことはなかった。
男は監獄の中だろうが病院だろうが、いつ何が起きるか分からないと言うことだけは学んでいた。そして、ヴィラーリが既に死んでいるのではないかと不安に襲われていた。さらにはヴィラーリがリボルバーを手に、部屋に乗り込んでくる悪夢を繰り返し見るようになった。だが、懸命にも男は引き出しから拳銃を取りだし、引き金を引くのだ。そして、その銃声でいつも目を覚ました。
そして今度も。。。
★基本データ&目次
作者 | ホルヘ・ルイス ボルヘス |
発行元 | 平凡社 |
発行年 | 2005 |
ISBN | 9784582765496 |
訳者 | 木村榮一 |
目次
- 不死の人
- 死んだ男
- 神学者
- 戦士と拉致された女の物語
- タデオ・イシドロ・クルスの伝記
- エンマ・ツンツ
- アステリオーンの家
- もうひとつの死
- ドイツ鎮魂歌
- アヴェロエスの探求
- ザーヒル
- 神の書き残された言葉
- アベンハカン・エル・ボハリー、自らの迷宮に死す
- 二人の王と二つの迷宮
- 待つ
- 戸口の男
- エル・アレフ
★ 感想
南米アルゼンチン生まれのボルヘスは、父親の病気治療のために一家でヨーロッパに暮らしたことも長く、英語・ラテン語に精通し、さらには他の言語も学び、知識を蓄えていった。膨大な読書量から得た知識も兼ね備え、自らも子供の頃から作品作りをするようになった。。。そうだ。私もボルヘスの名前や作品の一部を知ってはいたものの、どんな人だったのか本書の解説で初めて知ったのでした。
古代ギリシアの古典から、現代文学(もちろん、彼の生きた時代の、という意味だが)まで精通していた人の生み出した作品は、とにかく“時間感覚”が異なっている。話は千年の時を飛び越えて繋がっていたり、そもそも小説なのか、自分の経験を語っているのか(つまりはエッセイなのか)それすらも混沌とした形の作品ばかりだった。また、どの作品でも、誰かが死んでいる。死んだ当人が主人公だったり、主人公が死んだ人を悼んだり。いや、死なない人まで出てくる。
不死の人の話というと、学生の頃に読んだ、ボーヴォワールの「人はすべて死す」を思い出すが、あちらは過去の知識・記憶を活かして行き続ける男の話だったと思う。死なないことの辛さを語ったのではなかったかな。方やボルヘスの場合は、死ななくなった人々は自分たちの街を壊して遺棄し、自らは野生の生活に戻っていってしまっていた。人は、生きることに飽きてしまうものなのだろうか。自らが造り上げた“文明”もあっさりと捨てている。そこには意外な人物も登場し、不死の身となったホメロスは「オデュッセイア」さえも覚えていないのだから。
さらに、「待つ」の主人公は、自分の命を狙う刺客の来訪を、文字通り夢にまで見て待ち望んでいるようだ。ボルヘスはここで何を語りたかったのだろうか。
「エル・アレフ」の主人公はボルヘス自身のようだ。その作品の中で彼は、世界のすべてを見ることができる能力を与えてくれるものとして“エル・アレフ”を登場させる。世界中の人々の顔を見たり、自分の身体の中まで透かして見ている。それは神にでもなったかのような体験であり、その記憶は絶対の力を彼に与えたかに見える。だが、主人公はそこで見たものを忘れていってしまう。そもそも、エル・アレフを自分のものとしようともしない。全能はともかくとして、全知であることはそれほど魅力的ではないものなのだろうか。死なずに生き続けることによって得ていく知識。エル・アレフによって一気に得る知識。だが、ボルヘスにとってはそれほどの価値はないように見える。自身の膨大な読書から得た知識で充分というのか。
私自身はもっと色んなことを知りたいし、可能であればラプラスの悪魔のようにすべてを知るものになりたいとも思う。そんな私にとって、かなりモヤモヤ感が残った作品群だった。
だが、面白いことに変わりは無い。熱狂的ファンが多いのも頷ける。他の作品も読んでみて、彼の思うところを見いだせたらな、と思うのでした。
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